★革命的共産主義者同盟全国委員会 CHronicle 2025年3月5日更新 Top page
リベラシオン社








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★革命的共産主義者同盟再建協議会 謝辞!提供ー革共同再建協議会 M氏 T氏





創刊準備号(08・1・1)
第1号(1・22)
第2号(2・5)
第3号(2・19)
第4号(3・4)
第5号(3・18)
第四インターに対する軍事的せん滅戦にかんする自己批判(25号2009)

第308号(12・17)
第309号(2021・1・7)
第310号(1・21)
第311号(2・4)
第312号(2・18)
2022年・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第333号(1・6)
第334号(1・20)
第335号(2・3)
第336号(2・17)
第337号(3・3)
第338号(3・27)
第339号(4・7)
第340号(4・21)
第341号(5・5)
第342号(5・19)
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第344号(6・17)
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★未來への協働編集委員会
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革共同関西党員総会・決定集(2007)

























★追悼!奥田 満(吉岡史朗) 1949年~2012年(亨年64歳)
奥田満(吉岡史朗)同志、・・の逝去を悼む(「未来」119号2012)
67年予備校生として立命館大学学生運動参加 69年11月決戦参加 71年関西新空港反対淡路現地闘争参加 74~98年非公然活動 06年分派闘争開始(革共同再建協議会)
11年9条改憲阻止の会 11年経産省前テント参加 12年大飯原発再稼働反対監視テント参加 12年ガレキ焼却反対大阪市役所前テント参加
2012年12月4日に死去された吉岡氏の追悼文を、約3年を経た現在書くのは、遅きに失するとの批判があるかもしれない。
「リベラシオン社」に『情況』掲載の追悼文等をアップするのは、関西の歴史的、現在的な独特の政治状況と私のある志向からです。
吉岡氏と出会ったのは、2007年小川 登氏(ペンネーム=長尾弘夫・竹中明夫、第一次共産同京大細胞、共産同関西地方委員会議長、61年革共同全国委員会へ移行、
68年意見書「・・指導部のプチブル急進主義を弾劾する・・」を提出し、除名。後年桃山学院大学教授)の提唱された、関西での「9条改憲阻止の会」の会合であった。
小川氏も吉岡氏も初対面であった。小川氏の経歴から会合は、元・現革共同系のメンバーが中心であったが、ブント系メンバーも私も含めて参加した。
この「9条改憲阻止の会」は、後日東京で大きく拡大した事は周知の事である。私は歴史的経緯からあまり「反中核派」意識はない。
第四インター系のみでは無く、ブント系でも「反中核派」感情を持つ人も多い。それぞれの歴史的事実があるので、私には何も言えない。
吉岡氏の最初の印象は、いやに「くだけた人」であった。中核派=尊大、傲慢、官僚的、・・暴力的云々とは全く違った。職業革命家として左記の面もあるかも知れないが、
短い間だが、数年の付き合いでも印象は変わらなかった。
当時、革共同関西地方委員会は、中央派との党内闘争ー分派闘争を闘っていたが、その事を我々に「強要」はしなかった。以降、KCM、10.21京都共同行動等の実行委員会に、
吉岡氏は積極的に参加された。又、日本赤軍、「よど号」グループの支援集会にも参加された。これらのシンポ、集会は主にブント系であった。
これらの会合で、吉岡氏とは討議し、縷々話し合い、飲み合った。関西前進社に泊めてもらった事もある。吉岡氏は、多くの人が語るように現在の政治的大衆運動の先頭で頑張られた。
プロフィールによれば、69年から全共闘運動、街頭闘争、対革マル戦争等々と非公然活動も含めて闘いぬかれた。
ともすれば、60年代・70年代世代は当時の激しい闘争のノスタルジーと武勇伝が多いが、これらの事に耽けること無く、現在の大衆運動の先頭に立たれた事も、尊敬できる点である。
2014年に亡くなられた、西浦隆男氏も同様であった。
その間、革共同全国委員会の分派闘争は、革共同再建協議会の結成から今日に至っている。その後、関西ルネッサンス研究会が結成されブント系と革共同再建協議会の「論議」は継続している。
微妙な政治的、党派的論議は深くはしなかったが、主に歴史的なブント、革共同の相違、経緯、問題点などは縷々話した記憶がある。
少なくとも私は、革共同の闘いの歴史は初めて知ることも多く、勉強になった。ただし、ここでも「強要」はなかった。
吉岡氏の冗談と思うが、「第一次ブントにもどるならば我々も参加する」との発言を思い出す。
私見を言えば、私は90年代ぐらいから「ブント再建」云々には、あまり乗り気ではなかった。今日「新左翼」の終焉が言われる中で、歴史的に様々なブント総括と展望が提起されてきた。
しかし、今日に至って実際的には、ある意味「ブント再建」「革共同再建」に留まらず、「ブント」と「革共同」を止揚する「党」として「新左翼」が登場しなければならないと思う。
以上は、願望であり、夢想であるが・・・。 2016年3月1日 リベラシオン社
追悼!吉岡史朗(『情況』誌追悼文集)
★破防法研究会
創刊号(69.7)
2号(69.9)
3号(69.11)
4号(70.1)
5号(70.3)
6号(70.6)
7号(70.8)

8号(70.10)
9号(70.11)
10号(71.3)
11号(71.4)
12号(71.7)
13号(71・10)
成田治安法に異議あり(1989)
★部落解放戦闘同志会








NO1・2合併号(1970)
NO3(1971)
NO4(1971)
NO5(1972 準備中 準備中
NO8(1975
NO9(1976)
NO10(1976
部落解放のために(1972)
狭山差別裁判 うち砕け(1973)
部落解放への道(1985)
アジア侵略と入管法(1970)
反軍闘争の推進のために
★革共同全国委員会の古文書
革共同全国委員会関西地方委員会を中心に、資料をPDFでアップする。 関西ブント検証の側面があると思われる。
今後の資料提供を、呼びかけます。画像は、ネットからダウンロードしています。
*ペンネーム(本名)リスト・・・「古文書」の理解のために作成(暫定版)
●田宮健二・武井健人(本多延嘉) ●山村克(白井朗) ●青山到・福島一人(守田典彦) ●岸本健一(陶山健一) ●広田広(飯島善太郎) ●北川登(小野田猛史)
●中条高世(北小路敏) ●今井重雄(小野田襄二) ●梶村憲一郎(高木徹) ●長尾弘夫・竹中明夫(小川登) ●浜野哲夫(池内史郎) ●瀬戸内孝志(上口孝志)
●岡田新・津久井良策(清水丈夫) ●織田武雄・野島三郎(木下尊晤) ●北島真一(秋山勝行)●中谷純(塩川伸明) ●峰岸武夫(水谷保孝) ●麻生浩(岸宏一)
●大原武史(辻川慎一) ●塩川三十二・落合 薫(橋本利昭)●飛田一二三(毛利普一)







Link『共産主義者』の全目録①(1号1959年~154号2007年) 
Link『共産主義者』の全目録②(155号2008年~194号2017年)




















★追悼!-小野田襄二(今井重雄) 1938年ー2021年(享年83歳)


58年埼玉大学入学 60年マルクス主義青年同盟書記長 61年全学連第27回中央委員会書記局員 61年全学連第17回大会副委員長(委員長北小路敏)
61年全学連第18回大会書記長(委員長根本仁) 61年全学連機関誌『学生戦線』創刊 63年マル学同機関誌『中核』創刊 63年革共同第3次分裂 65年全国委政治局員(学対部長)
67年革共同離党 68年『遠くまで行くんだ』創刊 70年『日本革命の思想的拠点は何か』 75年『劫』創刊 03年『革命的左翼の擬制』






★追悼!本多延嘉(田宮健二・武井建人)1934-1975(享年41歳)



46年青年共産同盟加盟(中学生)50年日本共産党入党(高校2年)53年早稲田大学第二部法学部入学 54年第一部文学部転入 54年早稲田大学新聞編集長
57年弁証法研究会参加 58年革共同結成 58年革共同第1次分裂 59年革共同第2次分裂・全国委員会書記長
61年田宮(健二)テーゼ「革命的共産主義運動の現段階と革命的プロレタリア党創造の課題」62年革共同三全総 63年革共同第3次分裂 64年革共同五全総
66年革共同第3回大会 69年4・28闘争(4・27)破防法第40条で逮捕 70年「戦争と革命の基本問題」
72年「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」73年「革命闘争と革命党の事業の堅実で全面的な発展のために」75年3月14日虐殺
Link本多延嘉著作選
★追悼!-白井 朗(山村 克) 1933年ー2009年(享年76歳)
1955年法政大学入学 55年反戦学同全国執行委員 59年革共同全国委員会結成(政治局員・「前進」編集長~69年) 01年革共同第6回大会ー除名
ブントと革共同との歴史的関係について(白井 朗『共産主義運動年誌』第8号2007)






白井朗さんの追悼と革共同の謝罪(「未来」2010・6・1)
「白井朗さんへの追悼と革共同の謝罪」(『展望』第7号2010)
★追悼!ー岸宏一(麻生浩) 1947年ー2017年3月26日(享年69歳)

岸宏一さん追悼会のご報告(2018)
★追悼!-木下尊晤(野島三郎) 1936年ー2019年(享年82歳)謝辞!提供ー元革共同全国委員会 M氏

革共同創設者・木下尊晤(野島三郎)氏を追悼する(水谷保孝)
共産主義者同盟の破産は何を意味するか(本多延嘉・1960年)
構造改革理論への批判(社学同関西派・内田久美・1961)
イタリアマルクス主義批判(野島三郎『共産主義者』NO13・1965)
共産主義の喪失ー第二次ブント批判(本多延嘉・1967)
日本プロレタリア革命にむけて指導部のプチブル急進主義・・(竹中明夫 マル青労同教育労働委大阪支部・1968)
特別声明 赤軍派への反革命的襲撃に断固抗議する(清水丈夫・1969)
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