★『査証』/『序章』/『季節』 Chronicle
2024年2月20日更新 リベラシオン社
「共産趣味者」的なコレクションですが、「2チャンネル」その他のブログで話題化されるわりには、実物がアップされていません。
ここでは、「書誌」学的な薀蓄では無く、概観を記します。再度記しますが、「共産趣味者」的観点では無く、新左翼の歴史の「記録」として正当に評価されるべきと思われます。
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下記、Chronicleとして、表紙と目次をアップします。
『査証』
●『査証』・・全7冊(創刊号~NO7解散号1971年~1973年)・・「転向」?されたか不明だが、高沢皓司氏の個人的な努力の刊行による。
回顧はイヤだが、この際記すれば、創刊号は「中央郵便局・局留」が発行元となっている。
大阪中央郵便局です。当時、高沢氏をキャップ的に、Kさんと私で「編集委員会」を構成していた。高沢氏も関西在住であった。
思い出話としては、Kさんと共に、重い『査証』梱包を中央郵便局から発送した事が多々あった。
NO7の「ディル・ヤシン作戦の総括と自己批判」(来見弘/故井上康)の文書を載せたのは、私です。
のちに、VZ-58を名乗る、京大パルチザンのI氏の銀閣寺近くの下宿に何度も通いました。
当時、レーニン全集の英語版、そして「グランマ」(キューバ共産党機関紙英語版)をI氏は読んでおられた。後年、I氏とは別の「組織」で再会する事になります。
「赤軍派」系雑誌といわれるが、当時の「国際主義」をもっとも掲載したと思います。
『査証』(表紙+目次)
『序章』
●『序章』・・全15冊(第2号~16号・1970年~1975年)・・・第1号は、『大学ー叛逆への招待』(京都大学出版会)として、1969年4月21日に発刊されいる。
70年5月5日に『叛逆への招待』と『逆光の思想』(北海道大学出版会)の合同として、第2号が共同出版された。ただし、『逆光の思想』は、その後も刊行されたようです。
第3号以降は、京都大学出版会のみ刊行ー第9号(1972年9月30日)以降は、序章社。
この変遷は、72年段階で、京都大学の弾圧によって、京大校内から退去させられた事に起因する。
『序章』は、発行者として記載された、西嶋 彰氏の営為による。関西ブントの継承の側面があり、いわゆる「革命戦争」派の記事が多い。「表紙」はビジュアル的に秀逸です。
『序章』(表紙+目次)
『季節』
●『季節』・・・全14冊(創刊準備号・創刊号~12号・特別増刊号1978年~1988年)・・周知のように、季節編集委員会ーエスエル出版会ー鹿砦社と変遷し、現在に至る松岡利康氏の営為による。
元同志社大学全学闘としての、松岡氏の「奇妙な情熱」(自称)は、貴重な第一級の第一次ブント、関西ブント文献の復刻をなされた。
第二次ブントの『共産主義』、『理論戦線』、「戦旗」の復刻は貴重である。
後半、「文藝評論誌」化を試みられたが、失速したようである。70年代後期以降で、「表紙」のビジュアルも秀逸です。
創刊準備号(1978・5・10)
『季節』(表紙+目次)
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(1)総会屋系雑誌
Wikipedia等で、明らかのように『現代の眼』(『現代の芽』改題、木島力也・現代評論社)、『構造』(『経済構造』改題・経済構造社)、『流動』(倉林公夫・流動出版)は、総会屋系の雑誌でした。
他に、『創』(『構造』の継続小早川茂)、『新雑誌X』(丸山実)があるようです。
当時から、これらの事は、言われていました。何よりも、やたらと多い「会社広告」がありました。WEB検索で、ヒットすると懐かしさ感じます。当時はよく購入した記憶がありますが、
現在は一冊も所持していません。周知のように、1981年商法「改正」によって「廃刊」しました。 国会図書館の検索等で事項を記します。
1969年5月号 1970年8月号 1972年12月号
●『現代の眼』(1960年~1983年?)・・・『現代の芽』として創刊。月刊でしたので、約12冊×約22年=約264冊・・すごい数です。・・・すべてが「新左翼」系の記事であったのでは無いと思われます
●『流動』(1969年~1982年?)・・・これも月刊ですので、約12冊×約13年=約156冊。政治のみでは無く、労働運動、文化等幅広い「記事」があった記憶があります。
・・・・国会図書館、大原社会問題研究所でも「全冊」所蔵されていないようです。
●『構造』Chronicle(1970~1971年)・・・前史の『経済構造』は、まったく未見ですが、突然登場し、突然廃刊を記憶してます。当時の「革命戦争」派系(ブント系)の文書が多くありました。
創刊号(70年1月) 2月号 3月号 4月号 5月号 6月号
7月号 8月号 9月号
10月号 11月号 12月号 71年1月号 2月号 3月号 4月号 5月号
6月号 7月号
(2)「情況』Chronicle(第1期1968~1976年/古賀暹第2期1990~2000古賀暹/第3期2000~2011大下敦史/
第4期2011~2018大下敦史/第5期2018~2022横山 茂彦/第6期2023~塩野谷 恭輔
『情況』誌は、1968年8月に創刊されている。国立国会図書館検索サイトでは、第1期『情況』1号(編集長ー古賀暹1968年)~101号(1976年)、
第2期『情況』1号(編集長ー古賀暹1990年7月)~110号(2000年8・9月) 第3期『情況』1号(編集長ー大下敦史2000年10月)~106号(2011年10・11月)、
第4期『情況』1号(編集長ー大下敦史2012年1・2月)、第5期『情況』(編輯長/横山 第6期「情況」 現在刊行中。
休刊、終刊を幾たびか経て、現在も苦闘中である。 ブント系と言われるが、唯一「新左翼」を継承している。
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創刊の経緯は、『破天荒な人々 叛乱世代の証言』(彩流社2005年)に、荒岱介氏のインタビューに古賀暹氏(初代編集長)が語っている。引用すれば、下記です。
第一期『情況』発刊の経緯
「荒/ 明大学費闘争の後、情況出版をおこし、67年に『情況』いわゆる第一期情況を発行するわけですね。それも廣松さんの指示だったんですか。
古賀/ 明大闘争のあとやることがなくなってしまった。でも、このまま戦線から消えるわけにもいかない。何とかブントを支えつつも僕にしか出来ない別な道をいかないと格好が付かない。
それでブントをはじめてとする大衆運動の援護が出来るような雑誌、また理論誌でもあるような雑誌を出そうと思った。
それが『情況』のはじまりです。でも雑誌を作るのは大変なんです。
僕はまだ26、7歳だった。雑誌を作るには金がいるけど、金なんかありゃーせん。廣松さんはにもそんな夢を話したな。
そしたらある日、突然、廣松さんから電話がかかってきて「神保町の喫茶店に来い」という。出かけていったら、「雑誌の話はどうなった」と聞いてくる。「お金も集まらないし、
雑誌なんて出せるわけがありません。冗談ですよ」と言うと、真夏だったんだけれど、いきなり廣松さんがワイシャツを脱ぎだした。
冷房がきいている喫茶店の中で裸になるわけです。ワイシャツを脱ぐとサラシが巻いてあって、
そこからポンと100万円。サラシから湿った100万円(笑)を出して「これは少ないかもしれないが、新雑誌発刊の一部にしろ」と言う。
僕は「あれは夢を語ったに過ぎません。それに、具体的な計画や準備があるわけではありませんから、このお金はいずれ改めて拝借します」と、そのお金を辞退しました。
しかし、廣松さんは「男がいったん出した金を引っ込めるわけにはいかない。このお金は僕の志だ。
雑誌が出来ないなら好きなように遣ってくれ」と恰好よくいうので、それで僕は無理をしても『情況』をスタートさせようと努力しなければならなくなったもです。廣松さんは、本当、革命家だよね。
その100万円は当時入った原稿の印税をみんな持っていったのではなきかと、廣松さんの奥さんの邦子さんは言っていますが、それはびっくりしました。
荒//いつ『情況』が発刊したのしたっけ? 古賀/ 68年の8月に第1号を出した。 荒/ はじめから月刊ですか?古賀/ 月刊です。」
(3)『新地平』Chronicle(1974~1989年)
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